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「解決策は明確だ」 上野千鶴子氏の東大入学式祝辞を考える

「多様性」を学ぶ方法。

こんにちは、akiです。

・上野千鶴子氏の祝辞が議論を呼ぶ

昨日4月12日に東京大学で行われた入学式で、上野千鶴子氏が行った祝辞が議論を呼んでいます。「女性学」の研究を行っている上野氏は、この祝辞の中で日本における「性差別」の現状について語り、そしてまた学生にこれからの学びをとおして大きく成長していく必要性を訴えました。

この祝辞では「男女差別は東大にもある」「がんばっても報われない社会が待っている」といった部分がかなり印象的であり、大きくクローズアップされています。もちろんその部分に言及することは日本社会の中にある差別的な構造を考える中で必要不可欠ですが、私が注目したのはこの祝辞の中で「差別の解消のためにどうしたらよいのか」ということが言及されていたことです。

・日本を出ろ

1つの社会の中にいてその中のルールが当然のことであると、そもそもそのルールについて何の違和感も抱かないというのはよくあることです。そうすると、差別的な構造について敏感になることもできなくなってしまいます。

それを防ぎ、またさらに知的になるための一つの方法として上野氏が言及したことが、「日本を出る」ことです。

学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。

「かんばっても報われない社会が待っている」東大の入学式で語られたこと【全文】Buzzfeed日本版 https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/tokyo-uni

なぜ、「日本を出る」ことが有用なのかも上野氏ははっきりと述べています。それがこちらです。

新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです

引用元:同上

ここでは、「異文化」という言葉が出てきますが、この祝辞の中では「多様性」という言葉も使われています。この「多様性」こそが差別解消への鍵であると上野氏は繰り返し述べています

まさにいま留学をしている身として、このことは本当によく理解できます。オーストラリアに到着してからこの2か月の間、日本人とは1、2回しか話しておらず、それ以外はずっと英語で外国人とコミュニケーションをとっています。彼らが見ている視点が私とは全く違うことに、コミュニケーションを取るたびに気づかされます。

・教科書の外の世界

上野氏は祝辞の中で、こうも述べています。

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。


これまであなた方は正解のある知を求めてきました。


これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。

引用元:同上

これもまさにいま私が痛感していることろです。例えば、あるクラスでは中国人と台湾人が一緒になります。中国人が台湾について語る時には、どんなリベラルな発言を他でしていようとも「私の国の(In my country)」とか「province(州)」という枕詞が付きます。

そして、彼らは当然のごとく「一つの中国」の話題についてお互いの視点から話します。私も、日本人として一つの中国や二次大戦における日本と中国の関係について意見を求められたこともあります。さらには、いま天皇が退位される時期にあり、彼らを含む様々な人から「元号」や「天皇」について説明して欲しいといわれます。

こういうことは、絶対に日本では起こりえません。ここで不適切な発言をしたら一気に嫌われるでしょう。相手の文化やそれに対するプライドを傷つけずにどこまでお互いを深く理解できるかという難しさがあります。しかし、こうしたことが異文化に対して自文化を説明する能力、また説明を通して自文化を振り返り問題を見出す力を養うのではないかと思います。

(※もちろん、こういった議論をするためには、日本でしっかり知識をつけていることが必要です。その意味で勉強と経験はどちらも重要です。)

・その国にはその国の差別構造がある

もう一つ大事なことがあります。それはオーストラリアには日本とはまた違った格差や差別があることです。これではどの国に行ってもそうだと思います。

例えば、現在住んでいる寮の掃除をする人、食事を出す人に白人は一人もいません。例外なくです(これが本当に驚きました)。職業、賃金の格差が見て取れます。しかし、現地の人や欧米からの留学生はそれが当然なので、あんなに友人同士では元気に挨拶してくれているのに、清掃しているところを通りがかっても無視しているとか、食事を出されても「ありがとう」は言わないとか、そういったことを何度も見てきました

また、日本では「男性」で「東京」の「大学生」であり、苦労せずともかなり社会の中で上位にたてる(あえてこう書きますが)私も、オーストラリアではしばしば差別の対象となります

こういったことを経験すると、否が応でも「私の住んでいた日本ではどうなのか」ということを考えざるを得なくなります。そしてその経験が日本社会に帰ってから差別に敏感でいられる原動力になります。私のこの経験も、そうした原動力に間違いなくなるでしょう。これが、上野氏が祝辞で述べていたことだと思います。

・昨年の祝辞でも同じことが述べれらている

昨年の東京大学の入学式で祝辞を行ったのはロバート・キャンベル氏でした。ロバート氏は以下のように述べています。

人が他者を理解しようとボーダーを越えた時、その行為が寄り添うこととして喜ばれるのか、それとも行き過ぎた文化への立ち入り、英語でいうculturalappropriationに当たる無神経な模倣や真似として否定されるのか、その線引きが実はわかりにくい。


 世界の、とくに欧米の情勢からすると、皆さまが成人になろうとする現在においては、友愛精神だけでボーダーを軽々と越え、文化を共有するなどという甘い夢は描けません。

東京大学HP https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message30_03.html

大学でできること。頭とからだを使って、自分が好奇心をもって向かおうとしている目標について他者に説明する言葉を磨くこと。ファクトを切り出して、論理と共感というきわどいバランスをその都度に繰り出すスキルを身に付けることに尽きると思います。

引用元:同上

まさに、上野氏が「日本の外に出る」ことで身に付けられるとして指摘していたこと同じことです。「外に出る」ことが「内を見る」有効な手段なのです。

日本で最高峰の学府において、2年続けてこのような祝辞が送られていることは、東大生のみならず私たち学生全体に重要な示唆を与えています。

お読みいただきありがとうございました。

<参考文献>

「かんばっても報われない社会が待っている」東大の入学式で語られたこと【全文】Buzzfeed日本版、日本時間4月12日19:34掲載 https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/tokyo-uni

「平成30年度東京大学学部入学式 祝辞」、東京大学HP https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message30_03.html

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