専門家会議で分かったこと
3月18日深夜に、厚生労働省の専門家会議がありました。
私のTwitterのフォロワーには音楽を趣味としている人、音楽や関連の業界で働かれている人も多く、イベント業界に対する補償に向けて署名活動をしておられる方もいます。おそらくそういった方の多くは「なんて中身の薄い会見なんだ」と思われたことだと思います。
しかし、私としてはやっと彼らが何を考えているかがわかって来たように感じる会見でした。そして、これまで感じていた違和感の正体もよくわかりました。
そのことについて完全な私見を書いていきたいと思います。
前提としてですが、私は感染症の専門家ではありません。具体的にどのようにしたら感染が防げるのかということはこのブログを読んでも一切わかりませんので、ご注意ください。
また、私が書いていることが現在の政府の対応に対して非常に寛容で甘い書き方のように見える方もいるかもしれません。そう読める余地があることは否定しません。しかし、良くも悪くも日本国政府はいまある一つのものしかないので、彼らが何を考え、私たちにどういったことを求めているのかをまず知る必要があると考えています。
最も重要なのは「エビデンスがない」こと
昨日の記者会見と、報告書の内容で最も重要だった点は「科学的根拠が存在しない」ということだったと思います。特に、大規模イベントの実施と学校の善行一律休校について、報告書はその対策「だけを取り出し『まん延 防止』に向けた定量的な効果を測定することは困難」ということを述べています。
おそらく、この部分が最も多くの人を苛立たせた部分だったのではないでしょうか。「根拠もないのに自粛をしろと言うのか」ということは誰でも感じるでしょう。
私もいままでずっとそう思っていました。しかし、「根拠はないけど自粛する」ということが分かったとき、私はとてもその説明に納得することができました。
は?って感じですね(笑)
今回は、なぜ「根拠がないのに大規模な対策を打つことができたのか」ということに焦点をあてて書いていきたいと思います。
<目次>
1.「予防原則」とは?
2.世界中でどこが採用している?
3.この考えのリスクは?
4.日本政府の対応を「予防原則」から考えると?
予防原則という劇薬
ここで説明が必要なのが「予防原則」という概念です。
予防原則というのは、1992年に採択された「環境と開発に関するリオ宣言」の第15原則を用いて定義されます。ではそのリオ宣言にどう書いてあるかというと、
第15原則【予防的アプローチ】
傍線、強調筆者。有斐閣『国際条約集 2018』より
環境を保護するため、予防的アプローチ(the precautionary approach)は、各国により、その能力に応じて広く適用しなければならない。深刻な又は回復し難い損害のおそれが存在する場合には、完全な科学的確実性の欠如を、環境悪化を防止するうえで費用対効果の大きい措置を延期する理由として用いてはならない。
この原則の「予防的アプローチ」がいま議論している「予防原則(precautionary principle)」です。重要なことは、
1.不可逆的に回復不能な損害が発生する場合には
2.科学的根拠が「なくても」(ここ大事!!)
3.大胆な措置をとることが可能
であるということです。
今回のコロナウイルスの感染拡大は、全人類に及ぶ健康被害・経済的被害を考えればまず間違いなく「不可逆的に回復不能な損害が発生する場合」にあたります。
ここで、つぎに2番に移ります。3月19日の専門家会議では、大規模イベント自粛や全国の学校の一律休校が感染拡大に直接的に効果を発揮したというエビデンスがないということが発表されたことは冒頭に書いた通りです。
つまり、これまでの自粛要請や一律休校はエビデンスもなく行われていたわけです。そして、エビデンスがないということがわかっても少なくとも今月の間はイベントの自粛要請と全国の休校は続きます。
ここが、多くの人を苛立たせている要因です。
しかし、予防原則に従えば自粛要請や休校措置は十分に合理的に説明できる方策だといえます。むしろ、自粛や休校が対策として無効であるというエビデンスもないわけですから、そういった証拠が出ない限り現在の措置を続けることも十分に考えられます。
世界でもこの考えを採用している団体は少なくない
「予防原則」という考え方を今回のコロナウイルス対策に採用すべきだと主張している団体は、実は世界にはかなり大きくあります。
まずは、WHO(世界保健機関)です。まず こちら(英語) のHPには、コロナウイルスに限定した形ではありませんが、公衆衛生上の危機が起きた場合には、この考え方を採用することを議論すべきである(絶対採用すべきではなく、あくまで「議論すべき」という表現にとどまっている)ということがHP上に書かれています。
さらに、WHOのヨーロッパにあるRegional Office(特定の地域向けのオフィス)が3月12日に出した文章には以下のような文言があります。
In the face of such an alarming situation that is exacting a heavy toll on our health-care services and vulnerable individuals, there can be no doubt that the time-honoured precautionary principle needs to guide our decisions.
現状のような公衆衛生や持病のある個人に対して重大な脅威となっている危惧すべき状態では、時間を区切り予防原則に従って決定を下す必要があることに疑いの余地はない。(訳は筆者独自)
http://www.euro.who.int/en/health-topics/health-emergencies/coronavirus-covid-19/news/news/2020/3/who-announces-covid-19-outbreak-a-pandemic
これは間違いなく、今回のコロナウイルス対策についても、WHOが科学的根拠があるかどうかにかかわらず大胆な措置を講じるべきだと考えている証左だと言えます。
予防原則の必要性を訴えているのはWHOだけではありません。日本語で「予防原則 コロナウイルス」と検索してもほとんどヒットしませんが、英語で「precautionary principle coronavirus」と検索すると、様々な団体が予防原則について声明を発表していることがわかります。
具体的な団体名を上げると、
European Centre for Disease Prevention and Control (EUの下部組織)、National Nurses United(アメリカの看護師団体)、Canadian Union of Public Employees(カナダの公務員団体)、Osler(カナダの法律事務所)
また、メディアでもイギリスのガーディアン紙がボリス・ジョンソン首相が以前に発表した非常に緩い措置に対して反対する理由として「予防原則」を挙げています。
※各リンクから「予防原則」を取り上げているページに飛ぶことができます。
事実として、ここ数週間の間にいま挙げた欧米各国の政府が次々と街の封鎖や外出禁止令、海外への渡航禁止令を出したということがあります。どの国家の政府も「予防原則」という言葉を強調して使っているわけではありません。しかし、今回のコロナウイルスに対して、世界の中で広く「予防原則」という考えを採用すべきではないのかという考えが広がっていることを示すものだと思います。
不確実要素の多い概念
ただし、この考え方に全く問題がないわけではありません。
先ほど引用したリオ宣言の前段をご覧いただければわかる通り、この「予防原則」という概念は「環境」問題、それも特に「国際社会」における環境問題において成立しつつある考え方です。
コロナウイルスに関する問題は(少なくとも直接的には)環境問題ではないですし、国際法の取り決めをそのまま日本の国内問題の対策として使うことができるのかも定かではありません。たしかに最近では資源問題、放射性汚染など、様々な他の分野にも適用できる考え方だという主張も有効ですが、いまだ支配的な定説とまでは至っていません。リオ宣言からまだ30年、まだまだ新しい発展途上の考え方だと言えます。
また、「予防原則」は根拠がなくとも強制力の強い政策の執行を許す考え方です。当然、恣意的に運用されたり、強制力の強い政策が乱発される事態を引き起こす可能性もあります。
実際に、世界的に著名な「Science2.0」というウェブサイトを展開するハンク・キャンベル氏は同名の同ウェブサイトで「予防原則」を批判し、今すぐそれらの措置を停止すべきだと警告しています。その記事はこちらです。
言葉を使わないからといって、やってないわけではない
日本政府も「予防原則」という言葉を使ってはいませんが、やっていることはこの考えに基づいているように思えます。
まず、PCR検査を広く行う意思がほとんど見られません。PCR検査を広く行うことで、どれほどの感染が広がっているのか、どのような対策が有効なのか、また現在の対策が本当に効いているのかということについてしっかりとしたエビデンスが得られることは間違いありません。
しかし、こういったことを全くやることなく大規模イベントの自粛要請、全国一斉休校へと踏み切りました。この背景には、一旦感染が爆発的に増えてしまったら様々な分野への影響が甚大であるため、エビデンスの確定を待たず(エビデンスにリソースを割くことなく)大規模な対策へと踏み切ったと思われます。
図示するとこのような感じでしょうか。
感染拡大の影響は甚大
↓
エビデンスの確定を待っているとすでに手遅れ
↓
確定的なエビデンスを得るためにリソースを割かない
↓
感染者の把握を完璧にやる必要はない
↓
PCR検査は必要最低限にとどめる
↓
その分の人を別の場所に回す
最後に
もう一度強調しますが、私は感染症の専門家ではありません。具体的にどのようにしたら感染が防げるのかということはこのブログを読んでも一切わかりませんので、ご注意ください。
また、このブログをお読みいただいた方は、筆者が相当政権寄りに書いているのだろうと思われるかもしれません。そういった批判はいていただいて結構ですが、私はそういう意図をもって書いているわけではありません。
繰り返しますが、嫌いか好きか、政治信条にかなうかかなわないかに関わらず、いまコロナ対策をやっている日本政府はいまある日本政府だけです(これが権力者が我々を言いくるめるときの常套句だ!と言われればそれまでですが)。少なくとも、彼らが何を考えているのかを私たちなりに解釈し、私たちの行動の参考とすることは意味のあることだと思い、この記事を書きました。それ以上でもそれ以下でもありません。
長々とした記事をお読みいただきありがとうございました。
<参考文献>
岩沢雄司、『国際条約集2018』、有斐閣(2018年)
松井芳郎、『第3版 国際法から世界を見る 市民のための国際法入門』、東信堂(2016年)