ウクライナ、ロシア、そして日本人どうしも引き裂かれる
2022年2月24日、ロシア連邦によるウクライナ人民共和国への軍事侵攻が始まった。このサイトについている「コームナタ」という名前は、ロシア語で「部屋」を意味する単語だ。また、私自身もロシア語の学習者であり、自らのサイトにロシア語を冠しているため、この件について何か発信する必要があると思っていた。
言い訳になるが、これから書く内容は、侵攻3日目くらいには頭の中に描けてはいた。しかし、刻一刻と状況が変化し、大枠が決まったとしても、微細な言葉遣いにまで注意する必要があるこの状況で、なかなか記事を出すところまでは踏み出せずにいた。
まず、最初に明示しておかなければならないこととして、私は今回の軍事侵攻に全く賛同しない。プーチン大統領が語ることで、今回の軍事侵攻を正当化できるようなものを見つけることは全く不可能だ。
また、私は大学で植民地主義について学んでおり、本来であればその知見に基づいた客観的な話をすることが求められているのかもしれない。しかし、私よりはるかに長きにわたってアカデミアに籍を置き、ロシアを取り巻く国際情勢を研究している方でも、完全にこれからの状況を読み切れているとはいいがたい状況だ。そのような中で私が専門家を騙って発言を行うことは、望ましいことだとは思わない。
したがって、今回はこの軍事侵攻に関する個人的思いを中心に、主観的な言葉で語っていきたいと思っている。
否応なく想起される、WWIIの記憶
いきなり個人的な話で恐縮だが、私の家族の一部は約100年前にアメリカ(ハワイ島などではなく本土)へ移住している。明治維新後の日本においては農村部の貧困は深刻だった。兄弟が10人以上いるような家庭も珍しくなかったため、家長相続であったことも相まって、長男でない男性にはまったく生きていく余地がなかった。そこで、日本国政府があっせんする形で、アメリカだけなく様々な国へ移民が行われた。
当然、第二次世界大戦がはじまり、大日本帝国とアメリカ合衆国が対決することとなった際、我々家族は敵国同士に分かれて戦うことを余儀なくされた。日本側の家族は戦死者を出し、アメリカ側では、命を落とした者はいなかったが、筆舌に尽くしがたい苛烈な状況に置かれた。
第二次世界中に日米に分かれて戦った日本人はそれほど数は多くないと思う。しかし、ロシアとウクライナは隣国であり、文化的にも非常に近接しているため、二国の間で分かれて戦わなければならない家族は、その比にはならないだろう。
我々の家族は、武器を持ってお互いに対峙するという最悪の状況を避けることはできた。しかし、今回の軍事侵攻においては、そういったことも少なからず起きうるのではないかとすら思う。私は当時に生きていたわけではないが、その子孫として、ロシアとウクライナの間で、あるいは日本とウクライナやロシアの間で引き裂かれているすべての家族に対して、本当にいたたまれない気持ちでいる。また、私に直接できることはないとしても、みなさんに対して心の底から寄り添いたいという気持ちであるということをここに表明したい。
同時に、このような悲惨な家族が生まれるのは我々で最後にならなければならなかった。私が国際政治を学んだり、留学して英語やロシア語を学んでいる原動力の一つは、たとえ一度敵対した国どうしであっても、学び続けることによって同じ悲劇は止められるのではないかということだった。しかし、その思いも、ひとたび権力者の意志にかかれば、簡単にひねりつぶせるものだという現実に直面して、いままで私が学んできたものは何だったのだろうかという思いすら抱いている。
第二次世界大戦の終戦から80年近くたったいま、アメリカに渡った家族と我々は完全に別れて暮らしており、親族のような付き合いはほぼない。私自身は直接会ったこともない。すでに向こうの家族には日本語を話す人はほぼいないと聞いている。もちろん、戦争だけがすべての要因ではないとしても、もし太平洋戦争が我々を引き裂くことがなければ、我々はもっとお互いに近しい関係でいられたのではないかと思うことはある。
ロシアと、ウクライナや日本に分かれて暮らす家族は少なくないはずだ。彼らが再会するのはいったい何年後だろうか。たとえ数年で再会する機会を持てたとして、お互いに憎悪もなくいままでの距離感で生活していけるのだろうか。そういった思いが、侵攻が始まってから常に私の頭の中をめぐっている。
民主政のために、我々は何を捨てられるか
我々がウクライナを支援する場合の大きな理由が「自由と民主政の保護」である。そのために我々は何を犠牲にできるだろうか。
ともすると、この問いを立てること自体が誤っている、あるいはロシア側を擁護するものだと感じる方もいるかもしれない。しかし、私はこの問いは非常に重要だと思う。
我々の投票で選ばれ、我々日本国民を代表している(ことになっている)日本国政府は、ロシアやプーチン大統領に対する制裁を科している欧米の流れに、ほぼ全面的に賛同している。すでに、ロシア政府関係者の日本国内にある資産を差し押さえているが、ロシアからの天然ガスや穀物の全面禁輸に発展する可能性もある。日本政府も出資して樺太でロシアと共同で行っている油田の開発も、頓挫するかもしれない。
こうなれば当然、我々の日常生活にかかる費用は増大する。具体的には、ロシア産のガスが輸入できなければ電気代が高騰する。また、小麦が輸入できなければパンや麺類の値段が上がるし、穀物を飼料としている畜産物の値段も上がるだろう。卸売りの値段が我々が見るスーパーでの価格に反映されるまでには数か月の時差があるが、これから夏にかけて家計は非常に厳しい状況になっていくだろう。また、電気は料金が上がる程度済めばまだよい方で、夏にかけて冷房などで電力需給のバランスがギリギリになる際には、場合によっては東日本大震災の時のような計画停電が起きる可能性も十二分にあると思う。
多くの人は、それくらいの代償を払ったとしても、自由と民主政のために我々はウクライナ支援を続けるべきだと言うと思う。というより、むしろこのようなことを「代償」ととらえること自体が誤りであると言われるかもしれない。
しかし、すべての日本人がそう思うだろうか。
コロナの流行も一因ではあるが、それ以前から日本経済の下落は鮮明である。貧富の差も拡大しているし、そもそも国民全体として経済力は下がっている。そんな国で、これからやってくるであろう原料価格の高騰(場合によっては、暴騰)に耐える力があるだろうか。
これは何も日本だけが直面している問題ではない。ロシアからパイプラインによって直接ガス供給を受けているドイツは、閣僚が「もしロシアからのガス供給を止めたら、産業がストップしてしまい、ドイツ内で貧困が蔓延する」と発言している(2022年3月14日、英ガーディアン紙https://www.theguardian.com/world/2022/mar/14/russian-gas-oil-boycott-mass-poverty-warns-germany)。
私は幸運なことに、電気料金やパン、パスタの値上がりがあってもなんとか耐えられる程度の稼ぎがあり、夏に計画停電で冷房が止まってもやっていけるだけの体力がある。しかし、すべての日本人がそのような状況にあるわけではない。いま、日本ではガソリン価格を抑えるサーキットブレーカーの発動もされていない。コロナでも財政支出をかなり絞っていた我が国の政府が、原料価格の高騰で生活が立ち行かなくなる人々を全面的に救済するような方針へ転向することは想像しがたい。であれば、彼らは、これからやってくる生活費の高騰にどうやって対峙してゆけばよいのだろうか。他国の民主制の保護のためになら、日本国憲法で定められた「健康的で文化的な最低限度の生活」が実現しなくてもよいのだろうか。
繰り返すが、私は今回の軍事侵攻についてロシア側に正当化できる理由を見いだせないし、ウクライナの領土は保全されるべきもので、ウクライナに降伏しろなどとは全く思っていない。ウクライナは国家として自衛権を持っているし、それを他国が「放棄しろ」ということは主権の重大な侵害である。しかし、ウクライナの支援のために、もっと身近で見るべきものが我々の手のひらからこぼれ落ちてはいないか、ということを指摘したい。
実は、我々日本国民も、静かに引き裂かれ始めているのではないかと、私は思う。
正当化されうる、大東亜戦争
そして、私が最も不安に思っていることが、ウクライナの支援に従って、太平洋戦争の見方についての対立がさらに先鋭化していくことだ。
ロシアがウクライナの東部地域の独立を一方的に承認したことは、満州国の建国に非常に似ていると感じる。また、ロシア軍の兵士がウクライナ領内で略奪の限りを尽くしていることについても、旧日本軍が中国や東南アジアで行ったことと重なる。実際、そのような言説がメディア、特にインターネット上で散見される。
一方で、ウクライナは8年前にクリミアを一方的に併合され、ロシアードイツ間に新しく建設されたパイプライン「ノルドストリーム2」はウクライナ領内を通過しないため通過料を受け取ることができない。さらに以前にはロシアとの約束でウクライナの領土の保全と引き換えに核兵器を放棄したが、その約束がこの侵攻を機に反故にされたということが言われている。現状では、ロシアは核兵器の使用をちらつかせてウクライナを脅しているという状況だ。
これは、日露戦争に勝利したのにほとんど領土が獲得できず、三国干渉を受け、ロンドン軍縮会議では日本だけ軍縮割合が大きく設定され、ABCD包囲網を敷かれ燃料供給が遮断され、挙句の果てに日ソ中立条約を破られて北方領土を取られてしまった、という1945年までの日本の状況に少なからず重なる部分がある。
この記事が出る直後の2022年3月23日(水)に、ウクライナのゼレンスキー大統領は国会で演説を行う。いままでの演説を見るに、彼は各国の窮地を救った政治リーダーの言葉を非常に意識している。英国議会ではチャーチルを、米国ではルーズベルトの「リメンバー・パールハーバー」を引き合いに出したことが何よりの証左だ。
では、彼は日本で何を語るか。シナリオとしては2つある。満州国の建国などを例に挙げて「あなたにも侵略の歴史があると思うが、過去を振り返ってその残忍さを認識されているはずだ」と訴えるもの。もう一つは、日本が経験した太平洋戦争までの昭和初期の一連の出来事を、列強の不条理な制裁に耐え忍んだ結果として捉え「あなた方の祖先も勇敢に戦って、ロシアも蹴散らし、最後に負けはしたものの領土はまだ存在している、その力を貸してほしい」と訴えることである。
私は、ゼレンスキー大統領は後者を選ぶのではないかと思っている。
理由を挙げると、英米には、日本と同等かそれ以上に加害の歴史がある。例えば、イギリスは世界各地を植民地にしており、インド独立運動の際、武器を持たずに抗議していた市民に対して無差別発砲をした「アムリットサル事件」は約100年前だ。アメリカに関しては、記憶に新しいベトナム戦争の終戦からまだ50年経過していない。そういった近時の戦時加害に焦点を当てることは、英米に関しても可能だった。
しかし、ゼレンスキー大統領がエピソードとして選んだのはそういったことではなく、「侵略者」としてのナチスドイツや大日本帝国と対峙した経験だった。
ゼレンスキー大統領が他国と同様に国会で話を進めた場合、太平洋戦争は日本が欧米に対して自国の存立を危機を脱するために行った防衛戦争であるという言説を、かなり直接的に補完するものとなりうる。また、ウクライナは当時ソ連の一部だった。当時の戦勝国の一員だった国の元首が、敗戦国の戦争の論理を認めるということがあれば、80年近くの時を経ているとは言え、非常に重大なものだと思う。また、太平洋戦争が列強の不条理な支配に対抗するために行われ、アジアを中心として大東亜共栄圏を設定するために行われたものであるという認識を強固に支持するものとなる(したがって、この章の見出しには「大東亜戦争」という言葉を使った)。
特にリベラルを自認する人たちにとって、ウクライナを支援することの大きな理由は、ロシアの侵攻が「侵略戦争」であり、それに対してウクライナの人々の自由を守るべきということだと思う。また、そこに大日本帝国の朝鮮併合や満州国建国などを重ね合わせていないはずがない。
しかし、ゼレンスキー大統領が自らの口でそれと全く異なる論理を語ってしまったとき、日本人の多くは、ウクライナ支援の理由を失ってしまうのではないだろうか。あるいは、国としてこれからのウクライナ支援の動機がまったくもって変質してしまうのかもしれない。
そうなったとき、「ウクライナを支援する」ということで一致している人の間ですら、その動機や日本のたどってきた歴史の解釈によって対立が先鋭化していくのではないかと、私は懸念している。
ゼレンスキー大統領の危機に直面した国民への鼓舞は素晴らしいと思うが、彼の勇ましさの裏腹で、我々が75年の時をかけて作り上げてきたものは、一気に崩れ去ろうとしている(それが望ましいかどうかは、また別で考慮されるべきことなので、ここでは立ち入らない)。75年の間日本が立脚してきた足場が崩れてしまったとき、我々もまた戸惑い、戦火にさらされなかったとしても、引き裂かれていくのだろうと思う。
引き裂かれた私たちへ
我々は、ものすごいスピードで、現在進行形で引き裂かれている。おそらく、これから何年もかけてもっといろんな人間関係が否応なしに分裂し続けるのではないかと思う。すでに絶望的な状況ではあるが、私の家族の経験を踏まえれば、これはまだ序章だとも思う。
私はウクライナやロシアに知り合いはいないが、ヨーロッパの他の国には知り合いがいる。今後の状況によっては彼らと二度と会えないような事態に発展するかもしれない。たとえそうならなかったとしても、これからやってくる日本国内の混乱に、私も否応なく巻き込まれていくことになるだろう。
この絶望的な状況の中でひとつ寄る辺があるとすれば、大変おこがましいが、それは私の存在だと思っている。100年ほど前にアメリカへ移住した私の先祖は、ずっと苛烈な差別的環境に押し込まれた。
その子孫である私は、たしかに人種差別を引き続き受けつつも、第二次世界大戦では敵同士だった人たちと、ともに夕飯を食べ、酒を飲みかわしながら政治の話をする仲にまでなっている。我々の先祖が生き延びなければ、このようなことは起こらなかった。
正直、分断の渦中にいる我々自身は、この先何年も続くであろう混乱が終わっても、手を取り合うことはもうないのかもしれないという思いが強い。ただ、たとえそうだとしても、我々がこの世界から退場した後であっても、次の世代あるいはそのさらに次の世代が分かり合えるかもしれないという可能性に賭けて、個人としていまを必死に生きていくこと、そして身の回りの世界を守っていくことしか、いち個人にはできることがない。
そうやって生きていくことだけに焦点を当てることに、罪悪感を感じている在日のロシア人やウクライナ人の方は少なくないはずだ。また日本人にも同じような心境の方は少なくないのではないかと思う。それは決して罪ではないと、私は言い切れる。そういって命をつないだ結果、私が存在できているのだ。もし、そのような心境の方にこの記事を読んでいただけたのなら、何としてでも生きていくと決めることに胸を張ってほしいと、私は思っている。
私は基本的に悲観主義者であるし、この記事も悲観的なことばかり書いてきた。また、あまり勇ましいことも書くことができない。しかし、勇ましくなくても生き抜くことこそ、未来への可能性を拓き、我々が望んだ未来へと、一歩ずつ近づいていけると信じて、私はこれからもロシア語を勉強を続ける。
長文にもかかわらず、お読みいただきありがとうございました。