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神田沙也加が僕とJpopに描いた座標

2021年末に彼女が急死してから、何人ものコメントや、いくつもの記事が出た。

神田沙也加は、有名人の中でもさらに特異な人だと思う。両親も超が付くほどの有名人で、彼女は生まれた瞬間(母親のお腹の中?)から亡くなる瞬間まで、もっと言えば生命が尽き果ててからもなお、様々なメディアに追いかけられ続けている。

女優、声優、歌手、モデル、テレビタレントと、多彩に活躍する中で様々な媒体で取り上げられたことに加え、芸能活動以外でも(というよりもむしろこちらの方が多いかもしれないが)ゴシップ誌やワイドショー・スポーツ新聞など、世に出ている情報を集めるだけで100ページくらいの年表ができそうなほどには情報が出ているのではないかと思う。

何が言いたいかというと、氾濫するレベルで情報が出ている人の人生というのは、それらをつなぎ合わせると、何となくメタ的な視点で語ることができてしまうということだ。

だから、彼女の死後に出た様々な記事は、今までの功績を参照するようなものであっても、確かに一側面を表しているのかもしれないが、どこかリアリティに欠けるような印象が拭えなかった。

それはおそらく、神田沙也加という人物があまりにも多才すぎたため、私のような凡人にはその全貌を理解できていないということも一因にあるのだろうけれど、どの記事を読んでも、そこにとどまらない違和感のようなものがあった。

個人的に、死者を追悼するような文章を書くことは好きではない。そんなことをしたって亡くなった当人が戻ってくるわけではないし、「いなくなってはじめてその価値がわかった」みたいなストーリーに私はあまり共感できないからだ。「いなくなってその価値がわかった」物や人は、もともと自分の中でずっと価値がある。死者を追悼することがそれに見て見ぬふりをして過ごしてきたことの免罪符となるだけであって、「失って気づく」ことはそんなに美しいものではない。

けれども、他人の都合で切り取られた情報をつなぎ合わせたような人生ばかりが語られるのを見て、あくまで私から見た視点で語りなおしたい、という願望が日に日に強くなってきた。

だから、タイトルには「僕と」という言葉を入れた。

私の視聴する音楽に多大なる影響を与えた最高のエンターテイナーを、あくまでいちファンでしかなかった自分を軸にして語ったら、何ができるのか。今回はそんな気持ちで記事を書き進めている。

前段が非常に長くなってしまったけれど、ここからはあえて自分が見た彼女の姿、彼女の作ってきた音楽を中心として書いていきたいと思う。神田は女優でもあり声優であり、むしろ神田沙也加と聞いたときに最初に出てくるのはこの2つの肩書ではないかと思うが、今回はあくまでミュージシャン(ただの歌い手ではなく、作詞家、またプロデューサーとしての視点を含む)としての彼女に焦点を当てる。

生・死・愛を描き続けてきた彼女の作品

「ミュージシャン・神田沙也加の作品」というと、思い浮かべられるものは何だろうか。歌を歌うという観点では、世間的にはディズニー作品のイメージが強いかもしれない。テレビでの露出が多いこともあり、華やかなイメージを持たれることも多かったのではと勝手に想像するが、彼女の作る音楽は非常に内省的かつシリアスなものが多いというのが私の印象だ。

特に、追悼アルバムという形で今回改めてリリースされた『LIBERTY』に収録されている、彼女の作詞した楽曲たちは、音程は繊細で非常に落ち着いているし、歌詞も内向きで、少々暗さや影すらも感じさせる。特に「生きたい」という歌詞が出てくる表題曲の「LIBERTY」の切実さは、もともと華やかなイメージを持っていた私が初めて聞いたときには、非常に驚いた記憶がある。

キャリアの中ではロック調のアニソンをはじめダンス・チューンなどのアップテンポな楽曲、さらにはボカロ曲まで歌ってきた彼女だが、あくまでファンとしてみている限り、ミュージシャンとして基盤になっていたのは、内向的で暗さや影すらも感じさせるような、こうした世界観なのではないかと感じる。

その世界観がもっとも明瞭に表れていたのが、神田自身が企画書を書いてレコード会社にプレゼンまでして結成したと言われている、TRUSTRICKというユニットだろう。様々な形で表舞台に出ていた神田だが、ライブや音源リリースをコンスタントに行っていた期間というのはキャリアの中でそこまで多くはなく、ミュージシャンとして最も精力的に活動していたのは2014~2016年のTRUSTRICKで活動していた時期といってよいのではないかと思っている。TRUSTRICKでは、全楽曲の作詞と、一部楽曲の作曲を担当、そしてセンターヴォーカルとしてライブではまさに世界観の「中心」に立ち光を放ち続けていた。またMVでは自らプロット作成にも関わり、相方のBillyとともにそのすべてに出演もしている。

このTRUSTRICKでは、コンセプチュアルなJ-popを打ち出すことを目標にしていると何度も口にしていた記憶があるが、私の中でそのコンセプトを形成していたのは「生・死・愛」の3つだと思っている。

1つ目の「生」と2つ目の「死」は表裏一体の概念といえるだろう。これはTRUSTRICKの作品全体を貫くと言ってもよいテーマだ。なぜこれが最大のテーマといえるのかといえば、リリースされた各アルバムのリード曲において、「死」とその反転である「生」がモチーフとして扱われているからだ。

デビューアルバム『Eternity』のリード曲である「ATLAS」は愛する人との死別の曲、2枚目のアルバム『TRUST』のリード曲「いつかの果て」は死別した後の世界の曲、そして3枚目『TRICK』のリード曲「I wish you were here.」は愛する2人が生きていくことの恐怖を歌っており、MVでは神田本人が「遺影」をモチーフにしたと話す写真が水の底へ沈んでいく、という表現がなされる。

「遺影」が沈んでいく様子は上記のMV(Short ver)にも登場する。この遺影は3rdアルバムリリース前に発表された『beloved. E.P.』のジャケット写真にもなっており、デビューアルバムから最後の3rdアルバムまで、リード曲が続きもののストーリになっているのも、特徴というべきだろう。

もちろん、ユニット体制なので神田沙也加1人だけで作られた世界観ではないのだけれど、リリースされるこれらのリード曲を続きもののストーリーにすることで、様々なものがまとわりつく中で生きていくこと、様々な人や物が失われていっても、その先でまた(恐怖に震えながら)生きていくことを、彼女はより鮮明に表現しているのではないかと思う。

そして、3つ目のテーマは「愛」だ。これについては、TRUSTRICKの3rdアルバム『TRICK』が出た時に彼女が残した以下の言葉がすべてだと私は思っている。

人間界においてもっとも解明できなくて、なおかつ誰もが引っかかってしまう最大のトリックは、恋愛だと思うんです。
(中略)
私にとって恋愛は全然明るいものではないですね。これまでトラトリが発表してきたバラードでは、まるで聖人君子みたいな歌詞も歌ってきましたけど、私個人としては、幸せな部分を残しておくのが怖いんですよ。だってあとから見たときに一番つらいんだもん(笑)。だから自然と今回のアルバムは「寂しい」や「悲しい」ばかり歌ったものになりましたね。

音楽ナタリー「TRUSTRICK×Chelly(EGOIST) ファンとしての熱愛、アーティストとしての共鳴」(https://natalie.mu/music/pp/trustrick05/page/3

この言葉がすべてを語っているので余計な補足は避けるが、彼女の描く恋愛というのは「甘酸っぱくてほろ苦い」的な要素はほぼなく、自分の「無力さ」「非力さ」「未熟さ」を体感するものとして描かれることがほとんどだ。またこのシリアスさは、前述した神田本人の「生」に対する意識とかなりシンクロしているのだろうと思う。

痛みに寄り添うこと

TRUSTRICKが活動開始した2014年は、『アナと雪の女王』が公開された年でもあり、神田は文字通り個人としてもメディアに引っ張りだこ状態だった。そのような状況でも、コンスタントに作品をリリースし、音楽関連の記事では、彼女一人だけの仕事であっても必ず「神田沙也加(TRUSTRICK)」というクレジットがついていたし(おそらく彼女が注文を付けていたのだと思うが、どうだろう)、神田本人もSNSの名前にユニット名を付け続けていた。

ディズニー・プリンセスの役として一世を風靡した彼女が、まさに同時期に、どうしてここまで真剣に暗さと影をも纏った、切実な表現を続けたのだろうか。

それは彼女の核にそういったものがあったというのも一つだが、そういったものを見せることを通して、我々ファンの「弱さに寄り添い続ける」ということを重要視し続けたからではないかと思う。(そのような発言の一例として、TRUSTRICK「今の自分を作り上げたルーツとなる10曲」/【連載】トベタ・バジュンのミュージック・コンシェルジュ

切実な状況の時に「がんばれよ!」と声をかけられることは、それはそれで背中を押すし、マスを相手にするとそういったことの方がウケがよいこともあるのかもしれない。ディズニープリンセスはまさにその最たるものだ。しかし、ミュージシャンとしての彼女は、そうではなく、その切実な状況をよりシリアスに表現して自ら歌うことで、我々リスナーの痛みや弱さを寄り添い続けようとしたのではないかと思う。

それは、マスには広がらなかったかもしれないが、少なくとも私の心には永遠に刻まれるものだ。

(ちなみに、TRUSTRICKについて「神田さんてすごく明るいイメージですけど、こんなに暗さもある曲をやられるんですね(意訳)」みたいなことをライターに聞かれて、神田本人が訂正するということが非常に多かった記憶もある)

死を悼むということ

急に話が大きくなるが、我々人間にとって、ほかの動物と異なる大きなポイントの一つに「死者を悼む」ということがある。これは、人類ですらその誕生からずっとやっていたことではなく、いまのように複雑な社会を形成していく中で獲得した行動だそうだ。

現代では「死者を悼む」という行為は危機にされされていると言ってもよい。コロナによって、死者は「数」として毎日全国ネットで放送されるようになった。例えば、もうコロナが関係なく別の病に侵されている人であっても、コロナ感染防止のため最期に立ち会うことができないとか、大勢の人で死を悼もうにも、葬儀の場で感染が広がるといけないので必要最低限の人以外は呼ばないとか、そういったことが(おそらくいまも)続いている。

それに加えて、”芸能人”の死は、面白おかしく書かれては人々の暇つぶしのネタになり、世界では戦争も起こっているけれど、私が何を言いたいかといえば、いまや人々の死は単なる「ニュース」として、あるいは数字的な「損失」として以外は語られなくなったような気がするのだ。

なぜ我々が人の死に特別な意味を見出して、それを悼むということを始めたのかは、私は正確には知らない。ただ、人の死を悼むということは、その人の功績を讃えるということだけにとどまらず、まだ生きている我々の中でその人の記憶を生かすという作業の誕生であり、生かし続けるという決意表明なのだと、そしてその決意をしたのが私だけではないと確認する行為だと、私は思っている。というよりも、この1年間、彼女のファンのみなさんや、彼女とかかわったアーティストの皆さんの動向、そして今回の追悼アルバムの発売を経て、そういったことを(浅はかだけれど)人生で初めて、経験的に理解したかもしれないと思っている。

だから、神田沙也加という素晴らしい人がもうこの世にいないことは言葉で言い表せないくらい悲しいことだけれど、いま彼女の死を悼むことができているということは、私の心の中にとても温かな感情をもたらしている。

(追悼アルバムが出るまでにレコード会社では様々な動きがあっただろうし、そのためにいろんな人が動いたはずで、そのことにはファンとして本当にありがたい思いでいっぱいだ。でも、ここで「弔えていることに感謝する」みたいな言い方はあまりしたくない。ただ単純に、自分勝手に、自分の人生において重要な人物を悼むことができているということにこの上ない感情を抱いているのだから)

我々の恐怖、悲しさ、どうやっても落としどころの見つけられない感情に寄り添っていくことを信条としていた、ミュージシャン・神田沙也加の表現は、ある種の「弔い」だったと思う。そうした彼女の楽曲とともに彼女の死を悼むということは、まったくその喪失感や悲しみを癒すことがなく、素晴らしい状況ともまったく言えないとはいえ、何かそういったネガティブなものだけでない、複雑な感情を抱かせる。

もちろん、彼女に生きていてほしかったし、生きていれば歌う彼女の姿を見ることができ、いまごろはライブ会場で「みんなー!元気ですかー!」と言いながら満面の笑みで我々を迎えてくれる彼女と対面できていたはずだろう。しかし、音楽を通じて我々に寄り添い続けてくれた彼女が、星になってもなお、作品として形を変えてそばにいてくれるのなら、こんな世界で生きていく我々の痛みや弱さに、これからも寄り添い続けてくれるのかもしれないと、思わずにはいられないのだ。

長文、お読みいただきありがとうございました。

アイキャッチ画像:yeondoo leeによるPixabayからの画像

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