終戦記念日にオーストラリア戦争記念館を訪れる

オーストラリアの首都・キャンベラ旅行記【2】

こんにちは、akiです。

昨日から現在留学しているシドニーを飛び出してオーストラリアの首都・キャンベラを旅行しています。今日は8月15日で終戦記念日ということで、オーストラリア最大の戦争資料館である、「Australian War Memorial」に行ってきました。ただ、いちいちこの名前を出すと記事が読みずらくなると思うので、この記事では「戦争記念館」または「記念館」という表記を用いたいと思います。

川を挟んで国会の対岸にある!!

まず、昨日の記事で紹介した国会議事堂では、議事堂のテラスから「ある施設」が見えるということを書きました。同じ写真を下にまた貼りました。

写真の奥に向かって一直線に向かって伸びていく、真ん中が赤い土で埋められた通り。そしてその先に巨大な建物が経っています。それこそがこの記事で紹介する「戦争記念館」です。といっても正直見えずらいという方が多いと思うので、今日新たに記念館側から国会を望む写真を撮りました。こちらでははっきり確認できます。

戦争記念館から議会を見た写真、はっきりと国会が見えます。

地図をもう一度示しておきます。

オーストラリアの社会学者、ピーター・ドラッカーは「戦争は外交の失敗(Failure of Diplomacy)である」という言葉を残しています。外交を決めていくのは政治、つまりは議会の仕事。その失敗が戦争で、そこで起きた犠牲と悲惨さを伝える役割を担っているのがこの戦争記念館。まさにドラッカーのその言葉を体現し、政治に向けて「戦争しないように外交をきっちりやれ」と言わんばかりの立地です。

昨日の国会議事堂の記事を読んでいただいた方はわかるかともいますが、議事堂は森に囲まれていて外からはほとんど見ることができません。しかし、この記念館と国会の間だけは視界が開けていてはっきりと見渡せるようになっています。これだけでも「政治によって戦争を回避する」という強い意思が十二分に感じられます。

展示室へ

この記念館の展示は主に3つに分かれています。

1つは第一次世界大戦、2つ目は第二次世界大戦です。この2つの展示が記念館の左右に分かれてなされていて、その間に実際の戦闘機を展示して詳しく紹介するコーナーが分かれています。この大戦中、オーストラリアはオスマン・トルコとの戦い、そしてヨーロッパでは西部戦線(ドイツとフランスの戦線)に参加しました。そして第一次世界大戦は敗れたオスマン・トルコ、ドイツ帝国のみならず戦争が行われた地域全体に甚大な被害をもたらしました。記念館では1年おきにどのような戦いがどこで起きたのかということが模型も用いて詳しく解説されていました。また、その際に死亡した兵士の形見も多く保存されていました。

そして、私が一番興味深く見たのが第二次世界大戦の展示です。オーストラリアは連合国としてヨーロッパで再びドイツと対戦し、またアジアでは初期にシンガポールをめぐって日本と激しい戦いを繰り広げます。そこで連合国軍は日本に敗れ、一時日本が太平洋上の島々を一気に占領します(日本の歴史上最大版図)が、その後ミッドウェー海戦とはじめとする太平洋での海戦に他の軍隊とともに参加して今度は日本を打ち破り、最終的には日本に勝利します。

記念館には日本で学んだときには知らなかったものも数多くありました。旧日本軍が記した「どこどこを奪取した、どこどこで抵抗にあった」という「戦績」が書かれた木の板、そして旧日本軍が外国人捕虜をどう扱ったかなどが紹介されていました。また、アメリカの統治下に置かれた場所だけでなくオーストラリア国内にも旧日本軍の捕虜が収容されていた場所があったようで、「国のために死ぬ」ことを教えられた兵士たちが捕虜になることを嫌い脱走を試みたり、収容所の中で集団自決を図ったりしたことも伝えられていました。

この「逃走」というのも本当に逃げたかったわけではなく、間違いなく逃げている間に射殺されてしまうだろうが、その方が「国のために死ぬ」ということにふさわしいので行った、と記念館では伝えられていました。私もそうなのではないかと推測します。

「Jap」と「Japanese」―日本を見下しその力を見誤った連合国

私は太平洋戦争の敗戦には軍の数々の失敗があったと考えていますが、一方で連合国側が重大なミスを犯していたこともよく分かりました。先程も触れた通り、2次大戦においてオーストラリア軍がアジアで最初に行った戦いは、シンガポールをめぐる日本との攻防です。シンガポールはもともとイギリス領であり、「コモンウェルス」であるオーストラリアが助太刀するのは当然のことです。

「シンガポールの戦い」についてまとめてあるビデオがありましたので共有します

このとき、連合国側は「よもや日本に負けることなどはないだろう」と思っていたようです。展示にも「連合国が日本の力を過小評価していることは広く支持されている」と書いてありました。その一つの「軽視」あるいは「蔑視」の発露だと私が考えるのが、「日本人」の呼び名です。館内の展示や音声案内では、「日本人」のことを「Japanese」と呼びますが館内に流されている当時のテレビのニュースの表題は、

「Australian faces Japs」

「Japs」というのはもちろん今では放送禁止用語で、この当時(というかオフィシャルな場以外では大戦後もしばらくの間)「日本人」を呼ぶために英語圏で一般的に使われていた蔑称です。あえて言うならば日本における「在日」のような表現に近いと思います。

彼らは当時私たちの祖先のことを「日本のサル」くらいにしか思っておらず、自分たちより劣った存在だと思っていたということがこの一言だけでよくわかりますし、それならばしっかりと力を評価できなかったことも当然の帰結といます。

しかし、展示によれば、ここで連合国軍は序盤でやりたい放題やられた日本の「零戦」から学んで新しいモデルの航空機を開発して次々と量産することで空中戦で日本に対抗できるようになったそうです。また、ついに日本がオーストラリア北部の街ダーウィンを攻撃したことでオーストラリア国内でも一気に危機感が増し、アメリカからたくさんの兵士がオーストラリアに到着して援軍に入ったほか、日本で言うところの「国会総動員」体制により国内の生産をフル稼働させたそうです。

旧日本軍によるオーストラリアの侵攻についてはこちらのビデオをご覧ください。

こうした戦っている間の技術面と生産力の向上によって、次第に日本を逆転することになったということなのだと思います。ある意味で最初の勝利に酔った日本が今度は連合国側の出方を見誤ったのかもしれません。

余談ではありますが、私にとって興味深かった展示をもう一つ取り上げます。たくさんのアメリカ軍兵士がオーストラリアにやって来てこと、そしてその時点で多くのオーストラリア人の青年が戦地に赴いていたことなどから、現地の女性と結婚するアメリカ軍兵士が多くいたそうです(「War Brides」と呼ばれるそす)

War Bridesについてはこちらの記事をお読みください。
https://www.sea.museum/discover/online-exhibitions/war-brides

また、彼らは現地の人といがみ合うこともあった(豪軍兵士と米軍兵士が小競り合いを起こし死者が出たこともあった)そうですが、多くの場合 彼らは「文化が進んでいる」アメリカ人として迎えられ、アメリカ文化をオーストラリアに残しましたそうです。

実は、私はオーストラリアという国にはアメリカとイギリスのいいとこどりのような部分があるという印象をずっと抱いていました。国柄がどこまで個人に当てはまるのかという問題はありますが、アメリカの派手なイメージと、ブリティッシュの頑固ともいえるような実直さがこの国には共存しているような気がしたのです。この経緯から考えると私の考えもあながち間違いではないのかもしれないと思いました。

未来のためにどうするか

この展示を見てまず思ったことは、2つあります。

1.戦争によって誰が幸福になるのか

展示れていた戦地の写真、模型には死体が累々と転がり、銃弾によって何か所も破壊されたヘルメットは戦闘の悲惨さを物語っていました。戦っていないときの兵士を写した写真もありましたが、顔は(相手の陣地を奪ったときの写真でも)笑ってはいませんでした。当然です。殺し合いをしに行っているのですから。

いくつかの写真では笑顔も見られましたが、それでも一次大戦が終わって帰国した兵士がシドニー港で家族に再開する様子を写した写真や、二次大戦勝利(日本降伏)の知らせを受けて「Peace」の横断幕を掲げてシドニーの街に繰り出す人たちのはちきれるような笑顔には到底及ばないものでした(日本とは違い最後に勝ったのでなお嬉しいというのはあるのかもしれませんが)。

こう考えると、戦争というのは誰のことも幸せにしないのではないかと思います。もちろん、武器商人など「戦争を必要としている」人もいます。しかし、私たちの身の回りにいる人の大多数は戦争しても利益を受けることはなく、むしろ自分の身を生きるか死ぬかの危険にさらすことになります。

2.多角的に学ぶことが大切

今回、初めて日本以外の視点から2つの世界大戦について学びました。一次大戦については日本で学んだよりとても詳細で、とくにあまり日本の世界史では触れられないトルコとの戦いについて知ることができたのがよかったです。

そしてなんと言っても、二次大戦について日本とは正反対の立場から学ぶことができたことは、これからの私の戦争観において大きな影響を与えると思います。日本では二次大戦というと満州をはじめとする中国や韓国との戦いがクローズアップされがちですが、今回は東南アジアで日本が行った戦いについて詳細に知ることできました。改めて、様々な視点から学ぶことで知見が重層的になっていくのだということがよくわかりました。

また、結果的には勝ったとしても、根拠のない蔑視による過信が無駄な犠牲を生むのだということがよくわかりましたし、これはいままさに起こっていることのようにも思いました。

ここで学んだことをしっかりと生かして、「政治の力で戦争を起こさない」世の中が本当に実現できるように、日本国民の一人として、そして日本とともにあるいは敵として戦った国々で作るこの世界の一人の住人として、反戦の誓いを新たにしました。

長文をお読みいただきありがとうございました。

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