結婚2000年の歴史が変わる!!―よりよい法制度を目指すには

激変する「結婚」の価値観に法はどう対応していくべきなのか?

こんにちは、akiです。ひとつ前の記事で結婚の「起源」が2000年前の「ローマ法」にあり、その制度がいまだに残っていることを書きました。まず「結婚2000年の歴史って、中国2000年の歴史の勘違いじゃない?」と思った方は初めにこちらの前編の記事をお読みになることをオススメします。まだお読みでない方も是非。

<目次>
 ・もう一度、民法772条を振り返って論点を整理
 ・民法と憲法の知っているようで知らない関係性
 ・同性婚は「二重の意味で」結婚の歴史を打破する?

・もう一度、民法772条を振り返る

それではもう一度民法772条を振り返りましょう。

(嫡出の推定)
第七百七十二条 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。

「民法」電子政府の総合窓口 e-Gov、2019年3月15日閲覧
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=129AC0000000089_20180401_429AC0000000044&openerCode=1#2808

この規定がまさに、「子どもの父親を決める」というローマ法の「婚姻」制度の本質の「化石」であることはすでに説明した通りです。さて、お読みいただいてすぐわかるかと思いますが、この規定には「ジェンダー」という視点を入れると致命的な欠陥があります。

・「妻」と「夫」がいる結婚のかたち

そうです。ここには「妻」と「夫」が出てくるのです。日本語の平常の意味通りに解釈した場合、「妻」が女性「夫」が男性を指します。この条文は、結婚が異性間で行われることを念頭に置いていることを端的に表しています。

異性間の結婚については、日本国憲法の第24条「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」という文言もありますが、実はこの文言は「同性婚を禁止していない」というのが大多数の見解です。また、政府も「同性婚が憲法違反だ」とは述べていません。つまり、民法のこの条文が変わらない限りは婚姻制度は変わりません。

現在、民法改正を求めた訴訟が日本で提起されています。私はこの動きを応援していますので、この記事でも同性婚を認めるスタンスで記事を書いていきます。

・民法と憲法

ここで、何となくこの記事で使っている「民法」と「憲法」の関係性について考えます。法律というのは基本的にどれも「基本法」と「特別法」の関係にあります。「基本法」はその名の通り基本となることが書かれた法律のことです。そして、「特別法」とはざっくり言うと「基本法に書くと多すぎるため詳細を別にした部分」です。

本当は、憲法に全部を書いてしまえばよいわけですが、それをすると憲法の条文が数万条になってしまい、これは収拾がつかず大変なことになります。そのために「憲法」には抽象的なことを書き、そのうち「人間関係」や「財産」などのことを詳しく書いたのが「民法」です。ちなみに「犯罪」について詳しく書いたのが「刑法」です。

これでお分かりかと思いますが、「民法」と「憲法」の関係では「基本法」は「憲法」に、「特別法」が「民法」になります。

そうすると、ここで導かれる論理が「特別法は基本法に優先する」という考え方です。こうしないと特別法を作った意味がないですから同然です。

この考え方を今まで見てきた考え方にあてはめると、「基本法」である「憲法」24条は「同性婚を禁止していない」一方で、「特別法」である「民法」772条には「夫婦」という文言が出てきて、これが同性婚を禁止していることになります。

こう考えると「問題は民法である」という私の主張も納得していただけるのではないでしょうか。憲法改正は必要ありません。そしてその民法をさかのぼると、前編の記事の「ローマ法」にたどり着きます。そしてまさに、この民法の改正は「結婚の2000年の歴史」の大転換点に(おそらくそこまでは騒がれないでしょうが)なるでしょう。

・法的に守られないとは

民法改正ではなくて各自治体が行っている「パートナーシップ制度」で良いのではないかという印象をお持ちの方もいるかもしれませんが、同性のカップルにとってやはりそれでは不十分だと言わざるを得ません。

前編の記事で「ローマでは奴隷が結婚できなかった」という話を書きましたが、それと同時に「愛し合って子どもを産んでいけない訳ではない」ということも書きました。もちろん当時の奴隷は結婚できないからと言って全員独身のまま終えたはずはありません。自由人というのは権力層で人数も多くなかったですから。

しかし一方で、これも指摘した通り彼らの地位は「物」と同じでしたから、いつ殺されてもおかしくはないし、自分を殺した相手が自由人なら相手は罰せられないという状況にありました。愛し合っていることがわかっていても主人の都合で引き離されたこともあったでしょう(ちなみに、金持ちの自由人の場合「所持」している奴隷は百人単位だったため、恋愛沙汰が起こったことは間違いありません)。

現在同性婚の提訴を行っている方たちはもちろん「物」と同等の地位にあるわけではありません。これは同性婚以前の問題として憲法が禁止していることです。また、私は当事者ではないのですでに結婚するかしないかを選べる立場にいますから、本当の苦しみを理解することはできません。しかし、部分的にはローマの奴隷たちと重なるところがあるのではないかと想像します。

・地位継承から愛へ

そして、これも前の記事で指摘したことですが、起源をさかのぼると結婚の本質は「愛」ではありません。しかし、同性婚を認めるというのは結婚の本質を「愛」に置かない限り不可能なことではないかと思っています。

つまり、同性婚を認めることは民法の条文を変え、そして結婚の本質を「身分の継承」から完全にカップルの間の「愛情」に置くことだと思います。法制度とその裏にある思想を二重の意味で打ち破るということなのです。しかし、こちらの方が現代日本に寄り添った法制度になるともいえるのではないかと思います。制度の本質が完全に「愛情」に移行するという意味では、実は異性間で結婚をしている(あるいは望んでいる)私たちも他人ごとではありません

いまこそまさに、「結婚2000年の歴史」が大転換を遂げているときなのです。いま、結婚を「地位の継承」だと思っている人はあまり多くないでしょうから「愛情」に主眼を置くことで、男女問わず結婚ができると良いと思います。愛情に男女は関係ありませんから。

私もこれからしっかりと経過を見ていきたいと思います。

<参考文献>

「民法」、電子政府の総合窓口 e-Gov、2019年3月15日閲覧
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=129AC0000000089_20180401_429AC0000000044&openerCode=1#2808

「憲法」、電子政府の総合窓口 e-Gov、2019年3月15日閲覧
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=321CONSTITUTION

「ローマ法における婚姻制度と子の法的地位の関係」、椎名法子(2018)
2019年3月10日閲覧
https://takushoku-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=72&file_id=22&file_no=1より入手可能

Marriage For All Japan ―結婚の自由をすべての人に
2019年3月15日閲覧
http://marriageforall.jp/movement/

お読みいただきありがとうございました。

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