岐路に立つ「間接民主制」について

定義からわかりやすく書きます!

こんにちは、akiです。

先月、日本では参議院選挙がありました。それ以降にわかに注目されているのが山本太郎代表が率いる「れいわ新選組」です。この党から重度障害者の2名の議員が誕生し、このお二人の処遇を巡って議論が過熱しました。

この処遇についての話題は主に「お金の負担をどうするか」という文脈で語られることが多かったのですが、今回はこの話を「日本の民主主義」から考えます。

うーん。また小難しい話になるのかと思った方、ご安心ください。今回の話は非常に単純です。それは、

自分で決めるか、誰かに決めてもらうか

という間でのせめぎ合いです。

1億人が直接は決められない

「間接民主制」は「直接民主制」と対になる概念です。民主主義の世界では、一人一人の個人がすべての決定権を持っているので、本当はすべての国会の議論や多数決には国民全員が参加していることが理想です。これがいわゆる「直接民主制」といわれる概念です。サークルや部活などの小さなコミュニティでは、所属する全員が参加して方向性が決まりますが、まさにその方式です。

しかし、これは簡単に想像できることですが日本全国の1億人が東京・永田町に集結して会議をするわけにはいきません。時間もお金もかかりますし、1億人を収容できる施設などこの世に存在しません。

となると、私たちの「代弁者」を「選挙」して、その人にいわば「身代わり」となって国会で働いてもらおうという考えが現れます。これがまさに今の日本の民主主義の仕組みであり、「間接民主制」と呼ばれるものです。国会議員が「代議士」と呼ばれることがありますが、これはまさにひとりひとりの「身代わり」であるからです。

ということで、じつは今の日本の民主主義の仕組みは、全員が国会で働くことはできないという物理的な制約から生まれた、悪く言えば「妥協の産物」でもあります。

「直接民主制」をしている場所が実は存在する

「妥協の産物」といったって、私が先程書いた「直接民主制」なんてできるところがないだろう!という方もいるかもしれません。

しかし、実際にこの世には(サークルや部活ではなく)政治の世界で「直接民主制」を使っている国があります。それがスイスです。これは有名なので、中学校の公民の授業などで習ったことを覚えている方もいるかもしれません。

たしかに、スイスにも国会があり国会議員が選ばれていますが、一部の州では広場に住民が一堂に会して挙手による採決が行われるほか、国会で決まったことでも「国民投票」という形で議員以外の国民が意思表示をする機会が多くあります。

広場に集まって行われる議会は「青空議会」とも呼ばれる
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これはなかなか壮観ですね。直接民主制は一人一人の意見がより確実に伝わるという点は民主主義の本質を最もよく体現した制度であり、いくら間接民主制が「現実的」だとしても魅力的な制度です。

さらに、最近では「インターネット」を用いて投票すれば良いのではという考えも出てきています。

「れいわ」の2人は間接民主制をぶっ壊した?

さて、冒頭に書いた「れいわ新選組」のお二人に話を戻しましょう。このお二人の当選とその後の山本代表の行動について、同じくこの選挙で初当選し「ブロガー議員」として知られる音喜多 駿(おときた しゅん)・参議院議員がブログでこのように述べました。

山本太郎氏が、れいわから選出された舩後、木村両議員の「厚生労働委員会」への配属を求めたことについて、

申し入れ書では、法で規定されている「合理的配慮」という言葉を幾度となく使用して強調されているのですが、この委員会配属を「合理的配慮」という文脈で使うのは、率直に非常に大きな違和感を覚えました。

(中略)

「当事者でなければ!」というのは代議制民主主義(下線・強調筆者、「間接民主制」と同じ)の否定にもなりますし、そこに障害者だから入れることが「合理的配慮」であると考えるのは、なかなか難しいのではないかと個人的には思っています。

https://otokitashun.com/blog/daily/21227/

私も、山本代表が厚生委員会の加入まで求めたのはやりすぎなのではと思いますが、興味深いのは中略後の「『当事者でなければ!』というのは間接民主制の否定である」と音喜多氏が述べているところです。

「当事者を送り込む」ことをもくろんだ山本太郎

一方で、選挙中の山本太郎氏の主張は、「当事者こそその道のスペシャリスト」として、障害者だけでなくシングルマザーやコンビニオーナーなども候補者として擁立しました。

この動きはまさに音喜多氏が指摘している「間接民主制の否定」ととることは十分に可能です。そして実際に、舩後・木村両議員の処遇の為に実際に国会の設備が変わり、障害者の処遇に関する制度に光が当たり始めています。あくまで「選挙」という間接民主制の枠組みの中でありつつ、直接的な方法で政治の現場が動くことが実証されてしまいました。

「直接」訴えるまで「間接民主制」は何をしていたのか

この動きを、音喜多氏が述べているように「間接民主制」の否定と見るのは容易です。しかしこの事実が示していることは、「当事者がそこに存在するだけで変わることが、なぜ何十年も決まらなかったのか」ということです。障害者の権利についてはもう長い間言われ続けていることであり、2014年の段階で「障害者権利条約」に日本は批准しています。

それなのになぜ、有効な議論がこれまで行われなかったのでしょうか。

なぜ、当事者が出てこざるを得ない状況になってしまったのでしょうか。

そして、これは「間接的に選ぶ」ことの限界なのでしょうか。

国会議員が本当の意味での国民の「代弁者」ならば、国会議員に障害があろうとなかろうと、適切な障害者施策が打たれてきたはずではないかと思います。しかし、今までのところそうはなってきませんでした。お金ではない、日本の民主主義に関わる(対立はシンプルながらも)非常に重大な問題が、この参議院選挙を機に投げかけられていると思います。

さらに、「間接民主制の否定」を結果的に引き起こしている「れいわ新選組」だけではなく、「『間接民主制』から『直接民主制』へ」という主張を政策に掲げている政党が実は存在します。

それが、「れいわ新選組」と時を同じくして誕生した「N国党(NHKから国民を守る党)」です。後編の記事で、「N国党」の代表、立花孝史・参議院議員の主張も交えながら、さらに「間接民主制」という制度について踏み込んでいきます。

お読みいただきありがとうございました。

<参考にしたサイトは以下の通り>

「障害当事者だから、厚生労働委員会へ配属することが「合理的配慮」?配慮の濫用への違和感」、音喜多駿公式サイト、2019年7月31日
https://otokitashun.com/blog/daily/21227/

「2.我が国の『障害者権利条約』の批准」、平成26年度 障害者白書(全体版)、第1章 第3節 2.、内閣府
https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h26hakusho/zenbun/h1_01_03_02.html

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