こんなときだからこそ、音楽の力を信じてはいけない。

象徴としての力

こんにちは、akiです。

かなり挑発的なタイトルを付けました。今回はコロナウイルスのような非常事態と「音楽の力」とのかかわりについて話していきたいと思います。

国家と国歌

コロナウイルスが世界で猛威を振るっています。日本にも東京をはじめとする7都府県に緊急事態宣言が出ています。世界中のほぼすべての人にとって、出口のわからない暗い日々が始まっています。

私は海外からもコロナに関する情報を集めるため、英語圏の国のニュースを見ています。多くの国ではニュース番組をYouTubeで同時生配信しており、専門家も多数出演するので、とても有益です。

そのうちのニュースソースの一つが、私が昨年末(たった数か月前!!)まで滞在していたオーストラリアの公共放送、ABCです。

※ニュースチェンネルのYouTubeライブ配信のURLはこちら↓

https://www.youtube.com/watch?v=G-sCNxj2M2M

実は最近、ABCのニュースチャンネルで少し変わったことが起きています。

オーストラリアの「第二の国歌」とまで言われる「I am Australian」という曲がこのニュースチェンネルで一時間おきにかかるようになったのです。

曲のタイトルは日本語では「私はオーストラリア人」という意味です。The Seekersというバンドによって1987年に書かれて以来、オーストラリア国民によって(おそらく国歌よりも広く)歌い継がれてきた歌です。

3月までは、医者や看護師が懸命に働く映像とともに流れていたのですが、現在では市民が歌う映像をつなぎ合わせて最後には壮大なコーラスになるというとても力のこもった映像作品になっています。

この映像はABCのオフィシャルYouTubeで公開されています。以下に埋め込みますのでご覧ください↓

https://www.youtube.com/watch?v=RY_tl-N93AY

ちなみに、昨年からオーストラリアの広い地域を苦しめた山火事の際にもABCは「I am Australian」の映像を流しています。それはこちら↓

このビデオを見て考えたことを、大きく3つに分けて述べていきたいと思います。

1.多様性と連帯、団結を一度に訴える

このビデオで歌われているのは、「I am Australian」という曲のサビの部分です。その歌詞はを以下に示します。

We are one
(私たちはひとつ)
But we are many
(私たちにはたくさんの違いがあるけど)
And from all the lands on earth we come
(そして、地球上のあらゆる土地から私たちはここへやって来た)
We’ll share a dream
(私たちは一つの夢を共有する)
And sing with one voice
(そして、一つの声となって歌う)
I am, you are, we are Australian
(私は、あなたは、そして私たちは、オーストラリア人)

「私たちはひとつ」一方で「たくさんの違いがある」というのは、まさにオーストラリアの多文化主義社会を反映しつつ、一方でこの危機への連帯を促すのにうってつけの歌詞だと言えます。

そして、「夢を共有」し「一つの声」となって歌い、最後に私たちはオーストラリア人なんだという、こんな完璧に国家や社会の理想像を端的に表す歌詞というのはなかなか珍しいというべきです。

さらに、メロディもとても歌いやすくなっています。1987年にこの曲が作られて以来、様々な歌手によってカバーされています。この曲を書いた人は天才的です。

2.ビデオに歌われていない部分の歌詞を見てみると、、、

さきほど、このビデオに使われているのはこの曲のサビの部分だと書きました。他方でこの曲全体を見ると、いままで書いてきたこととはまた別の視点で曲の意味を捉えることができます。

この曲の全ての歌詞はこちらからご覧ください。

この曲は1番から5番まであるのですが、ほとんどの部分は白人がイギリスからやって来たあとのことが述べられています。オーストラリアと言えば、先住民が生活していることは多くの人がご存知だと思いますが、先住民について述べられている箇所はあまり多くありません。

最初の1番は先住民が古代から生活を続け、ある日海岸に立っていたことろ大きな船(これがイギリスから最初の移民が乗っていた船)がやってくるのを見たという話です。そこからはずっと移民が荒れ果てた地を開墾し、産業が発達し、ゴールドラッシュがあり、というような話が続きます。4番の一部である「 I am Albert Namatjira And I paint the ghostly gums(私はアルバート・ナマジラ。ガムの木を描いている)」という箇所以外はほとんど先住民への言及は見られなくなります。アルバート・ナマジラというのは、先住民の著名な美術家です。

オーストラリアは、たしかにこういうイメージですよね、、、

また、オーストラリアは100年以上前から(日本を含む)様々な国からの移民を受け入れています。この曲ではイギリス以外の国からの移民についてはほとんど触れられていません。「ゴールドラッシュ」という言葉が、そのときに多くの移民を呼んだことを想起させるくらいです。

3.ビデオで「切り取られる」ことの恣意性

もう一度、件のビデオに話を戻します。このビデオに最初に出てくる「We are one…」という歌いだしのパートを歌唱する女性の服装に注目してください。

もう一度ビデオを貼っておきます。

シャツ(パーカーか何かかな?)の胸の部分にこのようなものがプリントされているのが見えるはずです↓

Aboriginal flag
https://aiatsis.gov.au/sites/default/files/view_images/explore/aboriginal_flag.png

これは、オーストラリアの先住民「アボリジニ」の旗であり、オーストラリアの連邦政府により公式に認められているものです。1971年にデザインされ、1972年より公式なものとして承認されています。

※アボリジニはオーストラリアで生活している先住民のうちの一つの部族であり、オーストラリアには先住民の中にも多様性があります。

この旗がプリントされた服を着た女性が最初に歌い始めるということには、当然 大きな意味があります。そして彼女が「私たちはひとつ」ということが、連帯の基盤になっていることをこのビデオは暗示しています。「I am Australian」が先住民の生活を歌うところから始まることとも関係しているかもしれません。

もし、見るからに白人だと分かる人が最初の歌いだしをして、さらにほとんど白人が歌うビデオになってしまったら、ABCに批判が殺到しているはずです。ただでさえ「I am Australian」という曲に白人中心の考えが見られるのにもかかわらず、それに配慮することなくそのまま白人に歌わせるのか、と。恣意的、差別的だと言われることでしょう。

一方で、このビデオには障害者、同性愛者のカップルらしき人、虹色の羽根を付て踊る人なども出てきますが、そういった人たちをあえて選び映像として流すこともまた恣意的なのです。

さらに、山火事のビデオのタイトルは ‘We are’ Australianであるのに対し今回のビデオのタイトルは ‘ I am’ Australian となっていることの意味も気になります。冒頭に書いた通りこの曲はどちらのタイトルでも世の中に名が通っているので、とても不自然ということではないいのですが。

予想される批判への反論

1.曲に現時点で価値がないというつもりは全くない

私は「I am Australian」という曲に全く価値がないということが言いたいわけではありません。現在の視点から見ると、白人至上主義的な見方ができるということを述べているにすぎません。シェイクスピアや、中国のことを「支那」といっている過去の日本映画もその作品の価値がゼロになる訳ではないことと同じです。

「I am Australian」という曲は非常に簡素な歌詞でオーストラリアの多文化主義の理想を述べ、また多くの人たちにとって歌いやすいゆっくりとしたメロディでできています。こういった曲は決して誰にでも作ることができるものではなく、音楽作品として非常に高い価値があると思っています。

2.オーストラリア政府やオーストラリア人を非難しようという気も全くない

この記事を通して、オーストラリア政府、オーストラリア人、あるいはこのビデオを流しているABCを非難しようというつもりは全くありません。このビデオの裏にはどういったことがあり、そこから私が日本人として学ぶことができるものは何なのかということを軸に書いています。

オーストラリアは世界に先駆けて多文化主義政策を始めた国の一つであり、多様性を認め合う社会を構築しようとしている私たちにとって非常に多くの示唆を与えてくれる国です。今回は私たちのことを考えるための材料として、この事例を取り上げたにすぎません。

また、私は日本国民でオーストラリア国民ではありません。オーストラリアのことを決められるのはオーストラリア国民です。私が「この映像を流すのをやめろ!」という権利は一切ないと考えます。一方で、私がこの映像を見て何を思ったかということを自由に述べる権利が私にはあります。それに基づいてこの記事を書いたと理解していただきたいです。

もし、オーストラリアと縁の深い方でこの記事を読み不快に思われたとすれば、それは私の伝え方の問題であり、お詫びします。と同時に、決してあなたを非難しているわけではないということをわかっていただきたいです。

3.国歌なんていらないとも思っていない

この記事を読み、私が国歌などいらないと思っていて、いわゆる「君が代を歌うことを拒否する」ような人間だと思われる方もいるかもしれません。しかし、それは違います。私は今まで国歌を歌うことを拒否したことはありません。また、近現代における国民国家では、国民(現代ではそのコミュニティに住む移民なども含むようになってきているわけですが)はある一定の歴史や文化を共有し統合されるということは重要な原則の一つです。統合の象徴として「国歌」が存在していることは、何ら問題のないことだと思っています。

そして、今の状況はどう考えても多くの人が協力して乗り越えなければ状況であることは明らかです。そのようなときに、皆で協力していこうという意味で歌を歌うことを誰が止められるというのでしょうか。

そのうえで、、、本当の力はどこにあるのか

すでに書いた通り、ABCで流れているビデオは極めて意図的であるといえます。多様性・協調・団結を広く視聴者に印象付けるために、ひとつの曲のうち最も象徴的な部分を取り出しています。さらに、ビデオの出演者も極めて慎重に選ばれていることがよくわかります。

では、この映像を見て、誰かが、

これこそ、音楽の力だ!

と言ったらあなたはどう思うでしょうか。

私は、本当の力は音楽にあるわけではないと思います。あのビデオで本当に力を持っているのは、出演していた一人ひとりです。

今回のコロナウイルスの感染拡大で言えば、まずは最前線で治療にあたる医療スタッフであり、保健所の職員です。そして、家にこもっている人、危険を顧みず出勤を続けている人、店を開けようか迷ったけれども断腸の思いで休業している経営者、非難を顧みず商売を続けている人、すべて個々の力です。

音楽に力があるとしたら、それはこういった個々の苦悩や努力を象徴的に合体させ、素晴らしい音楽家の技術が合わさってそれらを昇華させているに過ぎないと私は考えています。その意味では音楽に力はあるのかもしれませんが、その象徴的な力に見惚れて「源」を忘れてしまってはいけないと思います。

また、このように象徴的に何かを集合させる力というのは、後ろにある本当の源を隠すために非常に好都合であるということは言うまでもありません。この力を誰がどのように使うかということは、歴史上の具体例を挙げるまでもなく、この記事をお読みの皆さんの頭の中に想起されることでしょう。

辛く目も当てられない日々が続くことはほぼ確実です。これだけ耐え忍ぶ日が続けば、象徴的な力の癒しを借りるときももちろんあるでしょう。しかし、その中でも本質を見失ってはいけない。恣意的な情報に惑わされることなく、本当に私たちの為に身を粉にしている人たちの存在に思いを馳せることを忘れてはいけないのだと強く思います。

長文をお読みいただきありがとうございました。

<参考文献>

ABC Australia (2020). ‘I am Australian’ everyday choir. Retrieved from https://www.youtube.com/watch?v=RY_tl-N93AY

ABC Australia (2020). We are Australian – bushfire recovery relief. Retrieved from https://www.youtube.com/watch?v=aKCtUze7ilk

Australian Institute of Aboriginal and Torres Strait (2019). Aboriginal flag. Retrieved from https://aiatsis.gov.au/explore/articles/aboriginal-flag

Genius lyrics. (n.d.). I am Australian. Retrieved from https://genius.com/The-seekers-i-am-australian-lyrics

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